画像出典元:シカゴ美術館公式サイト(著作権フリー)
こんにちは、kanaです。
2024年もあと2ヶ月となり、現在放送されている大河ドラマ「光る君へ」が佳境を迎えています。2025年から始まる大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が次々と新しい出演者が発表され期待が高まりますが、気になるのが横浜流星さん演じる主人公・蔦屋重三郎のことです。
名前を聞いた時、同業者であるTSUTAYAが思い浮かんだ人も多いはず。もしかしてTSUTAYAの創業者なのではと思い、今回は蔦屋重三郎の人物像と合わせて詳しく調べてみました。
この記事をおすすめしたい人
・TSUTAYAと蔦屋重三郎の関係を知りたい人
・2025年大河ドラマの主役を詳しく知りたい人
TSUTAYAと蔦屋重三郎の関係は?
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)はTSUTAYAの創業者なのでしょうか?
それとも、たまたま名前が同じなのか、詳しく解説しましょう。
TSUTAYAと蔦屋重三郎は縁戚関係にない
蔦屋重三郎はTSUTAYAと縁戚関係でもなければ、創業者でもありません。
創業者の名前はツタヤでもありません。一見、TSUTAYAと蔦屋重三郎は苗字以外はなんの関係もないように見えます。
TSUTAYAの創業者は誰?
TSUTAYAの創業者は、1951年生まれの増田宗昭氏です。蔦屋重三郎の子孫ではありません。
ちなみに、TSUTAYAは1983年大阪府枚方市に1号店が誕生しました。当時の名前は「蔦屋書店」といいます。漢字が重三郎の苗字と一緒ですね。
では、一見創業者と関係なさそうに見えるTSUTAYAの名前はどこから来たのでしょうか?
TSUTAYAの名前の由来は蔦屋重三郎
創業者が蔦屋重三郎と血縁関係でないからといって、名前の由来と無関係というわけではありません。
創業者の増田氏の祖父が営んでいた置屋の屋号は、蔦屋重三郎にあやかった「蔦屋」でした。
そこで、祖父の屋号と蔦屋重三郎に由来して「蔦屋書店」と名付けられたそうです。
店の名前にしたいと他人に思わせる蔦屋重三郎の人気の高さと知名度がうかがえます。では、他人に影響力のある蔦屋重三郎は何をした人なのでしょうか?
蔦屋重三郎は何をした人?
蔦屋重三郎は江戸時代中期版元で、現在でいうところの出版社や書店の社長でした。
波乱万丈の人生の始まりは吉原でした。成長して「吉原細見」という吉原遊郭の案内書の改訂を行った事が大当たりして、そこから江戸を代表する書店や版元へのし上がっていきます。
その伝説的手腕から「江戸時代のメディア王」とも呼ばれています。
経歴を見ただけでも、反抗精神が溢れていて行動力もあり、コミュニケーション能力も高そうな人物であることがうかがえます。
蔦屋重三郎は写楽と北斎とどういう関係?
蔦屋重三郎が見出した才能は、後世まで名が残る伝説的人物たちが多くいます。
2024年11月現在公開されている映画「南総里見八犬伝」の原作者である滝沢馬琴(たきざわばきん)や、「東海道中膝栗毛」の原作者である十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)を発掘しました。
そして、江戸幕府に財産を半分没収された後には葛飾北斎や写楽といった浮世絵師を世に送り出しました。
まさに敏腕プロデューサー。彼がいなければ、現在残る名作や名画を私たちが見ることはできなかったかもしれません。
蔦屋重三郎の処罰や死因は?
蔦屋重三郎を調べていくと、多くの人の疑問として上がってくるのが処罰や死因です。若くして亡くなったのは何か処罰されたのと関係があるのでしょうか?
詳しく解説していきます。
なぜ蔦屋重三郎は財産を半分没収された?
蔦屋重三郎は事業で大儲けしていましたが、なんと江戸幕府から財産の半分を没収されてしまいます。
原因は松平定信による「寛政の改革」です。質素倹約を奨励し、風俗や秩序を乱す者などを処罰しました。蔦屋重三郎が版元の洒落本3冊が風俗を乱す対象と判断され処罰されたのです。
しかし、ハングリー精神旺盛な蔦屋重三郎は再起をかけて奮闘します。そして伝説的浮世絵師たちを世に輩出しました。
蔦屋重三郎は享年48歳
蔦屋重三郎(1750〜1797)の死因は脚気(かっけ)といわれています。江戸時代には結核と並び2大国民病とされていました。
脚気はビタミンB1が不足して起こる病気です。江戸時代は白米を食べる習慣が広がり、それまで米ぬかから自然と摂取していたビタミンB1がとりにくくなったことが原因とされています。
ビタミンB1を摂取するだけで治るのですが、当時は原因がわかりませんでした。
しかし、江戸時代の平均寿命は30〜40代。年齢だけ見れば、当時としては一般的な年齢で亡くなったといえます。
蔦屋重三郎の妻や子孫は?
蔦屋重三郎の妻や子孫の詳細情報はまったくといっていいほどありません。
大河ドラマで妻「てい」役は、橋本愛さんが演じられます。事前情報がない分、どのような人物なのか楽しみですね。
子孫がいたかははっきりしませんが、彼の死後に蔦屋重三郎の名は番頭に受け継がれ、その後4代目まで続いたそうです。
まとめ
蔦屋重三郎とTSUTAYAの関係と、蔦屋重三郎の人物像について解説しました。
TSUTAYAは蔦屋重三郎と縁戚関係はありませんが、名前の由来となるほど蔦屋重三郎はTSUTAYAに影響を与えていました。
蔦屋重三郎が関わった人物には、大物がたくさんいます。
2025年の大河ドラマでは、歴史に名が残る人物たちが数多く出てくる予定です。葛飾北斎や写楽のキャストはまだ発表されていませんが、豪華キャストの予感がします。
放送まで関連書籍や映像を見て楽しみましょう!